アレルギー性鼻炎

50年来の鼻炎とやっとおさらばできた

物心がついたときからずっとアレルギー性鼻炎であった。後鼻漏

 

まあ、およそ50年ほど前の地方の話ではあるのだが、当時は本当に""はな垂れ小僧""と呼ばれた青っぱなを鼻から垂らしてそれを服の袖で拭くので袖がいつもガビガビになっている、なんていう友達もすくなからずいた。なので、わたしもいつも鼻をぐずぐずいわせていても親も周りもなんとも思わなかったようだ。

 

しかし、当の私はいかんせん、いくら鼻をかんでも次から次へと鼻水がでるものだからこれはたまらないと お願いだから病院へ連れて行ってくれと頼んだことを覚えている。小学校1年生のときの思い出だ。 今思えば自分のことながら小1で病院へ連れてけと頼むほどのことなのだからよほどつらかったのだろう。

 

ただ、当時はきっとまだアレルギー性鼻炎という言葉はなかったのだろう。 そこの病院に症状を伝え、他に気になることはないかと尋ねられたので、肌を爪などで引っ掻くと普通ではないほど跡が腫れるというやはり自分なりに気になっていたことを伝えた。
現在では、そのような肌体質はアレルギー持ちの特徴であることはちょっとした健康番組でも取り上げられるほどで医者でなくても雑学博士なら知っていて当然のことだが、当時の医者はこの子は何を言ってるのだろう、といった調子であった。

 

 

それで、その病院では鼻腔内洗浄と蓄膿症ではないという診断を受けただけで、子供は鼻水が出るのは当たり前でしょと言われたような感じでとぼとぼと帰ったような気がする。

 

 

それからは、病院へ行っても仕方がないんだと鼻水が出続ける状態とつきあうよう努力した。しかし、1年365日が花粉症のひどい人のような状態で、学業もスポーツもかなり苦労し続けた。

 

 

話は飛んで、去年の11月頃であるが、なにか咳が止まらなくなり1ヶ月ほども続いたので呼吸器科にいくと喘息と診断された。 わたしの父は喘息で41才の若さで息を引き取ったのだが自分が48才で自分の父の命を奪った病気と診断されるとは思いも寄らなかった。
そして、一応念のためにとアレルギー物質の検査を受けたところ、ありとあらゆる物質がアレルギー源であった。そう、そのときやっと自分の鼻がアレルギー性鼻炎ですよと医者に認めてもらえた気がしてちょっと嬉しくなった。

 

 

今は、喘息の吸引薬の他にアレルギー性鼻炎用の薬も出してもらっており、鼻は1年中グスグスいうことはない。
もう少し早くこの薬があれば自分の人生も少し変わっていたかもしれないなあ、などと思うほどの効き具合だ。 医学の進歩はすばらしい。

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